広島「平和の軸線」の意味 – 建築デザイン観察

平和記念資料館から平和の灯を挟み原爆ドームへ伸びる軸線をご存じの方は多いと思います。建築家丹下健三氏により「平和の創造」の意思のもとに引かれた一本の軸。すこし地図に落としてみますね。

軸線を書いてみると地図の線と同調している様に見えます。見通せると人はその軸に沿って歩き始め、そうして道が通り道に沿って建物が建ちます。その建物が集まり街区が生まれまたそれに道が繋がり広島の三角州扇方の土地にはこの軸で成り立っているかの様に感じてきます。

まるで大きなテーブルクロスが敷かれそれに合わせ食器と椅子が並べられてるかのようです。
その未来を想像しながらテーブルクロスを敷く役目を努められたのが丹下先生。何を基準に何を材料にその線を創造されたのかと想像するだけでワクワクしてしまいます。

平和都市記念碑からみた平和の灯越しの原爆ドームの風景です。
少し考えてみると原爆ドームをシンボルに記念碑を建てるなら原爆ドームのすぐ側に建てるほうが効率的だと思いますよね。しかしそれだと点になってしまいます。
同じ様に占領下の復興当時に記念塔を建てる計画があった様ですがそれに対して丹下先生は「モニュメントが一つあった程度で、何が残るのか。市民に忘れ去られるだけだ。」とおっしゃったそうです。

そこで点と点を繋げお互いに距離を作ることでそこに線が生まれ軸になります。その軸線上で新しい場所が作られ繋がり広がり始めます。平和の灯もそのひとつ。

その軸線の存在が距離を伸ばし今では北は原爆ドームの先にはピースプロムナードが伸び広島県立総合体育館グリーンアリーナに続きます。

南は吉島の広島市環境局中工場まで伸びています。

そして原爆ドーム前の元安川の軸線上では灯籠流しが行われ平和公園側はステージとなり川を挟んだ原爆ドーム側は観客席となり灯籠が人と人と想いを繋げています。

一箇所のモニュメントという点より様々なものを繋いだ軸線は街全体を取り込み創造し続けている様に感じます。それは広島という都市全体を記念碑としてそれが人々の生活の軸線になっている様にも感じます。平和を創造するということはとても大切で難しい難題。平和の大切さを伝え続ける難しさ。そのひとつの答えが今の広島なのかもしれませんね。

参考:丹下健三による「広島平和公園計画」の構想過程
参考:なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか? 世界的巨匠が託した思い
参考:映画『ドライブ・マイ・カー』 平和を感じる広島のロケ地を巡ってみよう
優人舎一級建築士事務所と広島市

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