現在はどうもモラルが無いことが前提で法律が動いてる部分が有るみたいです。
前々回の記事にも書いたように「姉歯一級建築士による耐震偽装問題」は
建築士のモラルを失った結果となった様です。
今の日本のモラルは取り扱い説明書が必要なようです。
書いていない操作はできない仕様になっていると感じますね。
事によっては条例により混浴を禁止となった例も有るようですが
モラルの無い人の行為を前提にルールを決めてしまっては
モラルの有る人にとって何がモラルなのか判断すら出来ない事になるかもしれませんね。
では本題になるのですが
やはりそれぞれの家庭にもやはりモラルは存在します。
家訓やルールなどそれぞれの暗黙の了解は存在します。
例えば
「家に帰って来たときは挨拶をする」
「呼ばれたらすぐ返事をする」
といった当たり前なことから
「ご飯の時の椅子に座る順番」
「定期的な記念日」
「近隣とのお付き合い」
書けば色々あると思います。
こんな家でのモラルを先程の説明書の様に考えては
きっと住まう人達の幸せにはなりません。
「家に帰って来たときには挨拶をする」
としたら
・帰ってきた雰囲気が伝わりやすいプランニング
・玄関とリビングのアクセスが近いプランニング
・お互いの気配を感じやすいプランニング
・・・・・
と色々考えていきます。
・帰ってきた雰囲気が伝わりやすいプランニング
を挙げれば
台所で家事をしていても表の様子が分かりやすい窓を用意してみたり
玄関のアプローチに音の鳴りやすい素材を用意してみたり
いろいろ考えが浮かんでくる筈です。
ですが「インターホンが有ればいいのでは」という考えもありますが
私の考えるのは感じてもらえる家なのです。
意図的に伝える方法というのは情報がかなり限定されてしまうものなんです。
学生の頃廊下を歩く先生の足音で「・・・先生がきた」
とか足音で「元気なさそうな感じ」とか人それぞれの感覚で
感じるものがあって感じることは大切な気がします。
そんな家を考えるのは私にとってはこの上なくやり甲斐のある仕事なのです。
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